旅立つ・想起 第1話

大変遅くなりましたが、新章の第1話ができました。
年内に公開できてホッ。

年末のご挨拶は、また後ほど。

とりあえず、新作でございまする。
お待たせいたしました。

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 夢とも現実ともつかない時を過ごした僕らが、元通りとはいかないまでも、日常と呼べるような時間を取り戻した頃だ。

 いつものように僕が食事を作り、いつものようにアスカが食卓についた。今日はまだミサトさんが帰っていないので、ここにいるのは僕とアスカだけ。
 本当ならこの場にはミサトさんもいるはずで、ミサトさんがいるときは、誰よりも早く食卓についている。

 アスカと二人の食事は賑やかなものではないけれど、決して居心地の悪いものではなかった。それどころか今の僕はアスカと二人で過ごす、この時間が好きだ。

 最近のアスカは以前のアスカとは何か違う。
 前のように僕に突っ掛かることもないし、無言の圧力をかけてくることもない。買い物にもよく付き合ってくれるようになったし、この前なんか皿洗いまで手伝ってくれた。

 僕たちの身に起きた不幸な出来事の数々は、それはひどく苦しいものであったのは間違いないけれど、あの時間がなかったら、こんなに心穏やかな時間が訪れることはなかったはずだ。
 あの悪夢のような出来事でさえ、僕らには必要な時間だったのだ。

 僕がミサトさんの家に来てどのくらい経ったのか。アスカと僕は、この家でどれくらい同じ時を過ごしたのか。
 どれだけの時間を笑顔で過ごし、どれだけの夜を眠れずに過ごしたのか。
 今となっては、どうでもいい。

 だって、僕はやっと僕の居場所を見つけたのだから。
 新しい関係を築き始めている僕らは、きっと仲良く暮らしていける。

 僕は初めて感じる、そんなくすぐったいような、気恥ずかしいような気持ちで、目の前に座るアスカを眺めた。

 ふと顔を上げたアスカと目が合う。

「何よ?」

「ううん、何でもない」

 そんな他愛もないやりとりが、日常を感じさせてくれた。僕が望んでやまなかった、ささやかな日常を。

 ずっとこのままでいられると思っていた。ずっとみんなでいられると信じていた。

 それなのに……

 突然の思いがけないアスカの一言が、そんな僕らの日々に終止符を打ったんだ。本当に突然だったんだ。



***



「アタシ、ドイツへ帰るから」

「え!?」

 アスカは僕の作ったハンバーグを口に放り込みながら、明日の天気でも話すように、当たり前の顔でそう告げた。

「ドイツって、バームクーヘンのドイツ?」

「アンタ、馬鹿にしてるの?」

 あまりにも驚いて思わず意味不明な返事をしてしまった僕に、アスカが突き刺すような視線を寄越す。

「ち、違うよ。急にそんなこと言うから、びっくりして……」

「もう決めたの。ごちそうさま」

 いつ? なんで? どうして?

 そんな簡単な質問さえできなかった。頭が真っ白だったから。アスカの一言は、僕の思考を停止させるのに十分なだけの威力を持っていた。

 やっと僕たちの居場所を見つけたのに。みんなで楽しく暮らしていけると思ってたのに。
 これからもずっと。ずっと三人で……

 僕は呆然としたまま、自分の部屋へ戻って行くアスカの背中を見送る。

 アスカは違ったの? ここはアスカの居場所じゃないの? やっぱり僕のこと嫌いなの?

 我に返った僕は手にしていた茶碗と箸を放り出すようにテーブルに置くと、慌ててアスカの部屋の戸の前に駆け寄った。

「アス……」

 ノックしかけて、止めた。

 アスカには聞きたいことがいっぱいある。
「いつドイツへ行っちゃうの?」
「なんでここじゃダメなの?」

 でもだからって、僕はそれを聞いて何て答えたらいいんだろう。

「そうなんだ」

 僕にはたぶん、そんな答えしかできない。気の利いた返答のひとつもできない僕は、またアスカを失望させるだけだ。

 だから僕なりに考えた。一晩中考えた。考えて、考えて、そして朝になった。
 そうして出したひとつの結論。

 アスカは僕のことを赦してくれていない。

 僕にはそれしか考えられなかった。僕はアスカに一生かかっても償いきれないほど酷いことをしたのだから。どんなに謝っても薄れることのない深い傷を、アスカの心に負わせてしまったのだから。

 自分でもわかってるのに、それでもアスカのそばに居たいと思うのは、アスカにそばに居て欲しいと願うのは、僕の我が儘なんだよね。アスカには辛いだけなんだよね。

 小さな頃からエヴァのパイロットになるためだけに頑張ってきたアスカが、やっとエヴァから解放されたんだ。エヴァのない世界になったんだ。

 これからは、アスカはアスカのために時間を使うべきで、何にも縛られず、誰にも命令されず、自分の願う通りに、自分の思う通りに生きる番なんだ。

 そんなこと僕にもわかってる。十分わかってるんだよ。
 だからアスカを自由にしてあげなきゃいけないんだ。アスカの意志を尊重して、アスカをドイツに帰らせてあげなくちゃいけないんだ。

 だって、だってさ、僕にはないんだよ。どんなに辛くても、それだけはしちゃないけないんだ。これ以上、アスカに辛い思いをさせちゃいけないんだ。

 わかってる。

 散々アスカを傷つけてきた僕に、アスカを引き止める資格なんて少しもない。



***



 アスカからドイツへ帰ることを聞かされた翌日、ミサトさんに呼び出された。

 NERVではない、元NERVと呼ぶのが相応しい組織にミサトさんはいる。NERVの後始末をするのが目的の組織だ。

 名称も建物も役割もすっかり変わってしまったけど、僕は好んで"元NERV"と呼んでいる。赤い海から戻らなかった父さん以外、ほとんど顔ぶれの変わらないみんながいるから。
 それに新しい名称を使うと、そこが全く知らない場所に聞こえて、なんか居心地悪いんだ。

 その"元NERV"の会議室で今、ミサトさんは改まった顔をして、僕と向かい合って座っている。

「アスカに聞いた?」

 僕は返事をする代わりに、小さく頷いた。それにつられるようにミサトさんも小さく2~3度頷き、そして「はぁ」と大きく息を吐いた。

「寂しくなるわね」

「はい」

 自分で僕を呼び出したくせに、ミサトさんはそれだけ言って黙りこんだ。
 一点を見つめたまま、いや、ミサトさんの視線はどこにも向かってなくて、ただ目を開いているだけのようだ。
 いつもとは違うミサトさんの雰囲気に緊張し、僕はおもむろに姿勢を正す。

 しばらくの沈黙の後、ミサトさんが重々しく口を開いた。

「私もね、昨日聞かされたのよ」

「えっ」

 ハッと顔を上げた僕に向かって微笑んだミサトさんの顔は、笑っているのにひどく悲しそうで、今にも泣きだしそうに見えた。

「昨日突然私のところにやって来て『ドイツへ帰ることにしたから』って。『ドイツへ帰ろうと思うんだけど』じゃなくて、『ドイツへ帰ることにしたから』って言うのよ」

「……」

 返す言葉が見つからなかった。ミサトさんの表情を見ればわかるから。
 ミサトさんも僕と同じで、アスカがいなくなることがまだ信じられないんだ。

「あの、それでアスカはなんで……」

「教えてくれないの」

 アスカの帰国の理由を聞こうとした僕の言葉を最後まで聞かずに、ミサトさんは答えた。

「ドイツが恋しくなったからって、それ以外は何も言わないのよ、あの子。でも本当の理由は別にあると思うの。だってあまりにも突然すぎるもの」

 また寂しそうな顔。
 ミサトさんは話して欲しかったに違いない。アスカもそれはわかっているはずなのに、なのに何で相談しなかったんだろう。何の役にも立たない僕は未だしも、ミサトさんには話してあげて欲しかった。

 ミサトさんの寂しそうな様子を見るのが辛い。顔は笑っているけれど、瞳の奥で揺れる悲しみの色は僕にもはっきり見てとれる。
 ミサトさんのこんな姿、初めて見た。

「あの、それでアスカはいつドイツへ帰るんですか?」

 ミサトさんがひどく驚いた顔をする。

「嫌だ、アスカったら本当に何も話してないの?」

「あ、アスカはドイツへ帰るとしか言わなかったから」

「まったくあの子ったら」

 少し俯き加減で額に手を置くと、ひどく言いにくそうに唇を噛んだ。

「それなんだけど……」

 言い淀むミサトさんを前に、「大丈夫だから」という気持ちを込めて大きく頷き、先を促す。

「それがね……」

「はい」

「5日後なの」

「えっ?」

「5日後の17時の便を予約したらしいの」

「えっ……?」

 別にミサトさんが悪いわけじゃないのに、ミサトさんが申し訳なさそうな瞳で僕を見る。
 だからミサトさんには言っても仕方ないのに、でも言わずにはいられなかった。

「5日後ってそんな……そんなのすぐじゃないですか! アスカは何で、そんな、相談もなしに何でそんな急に……」

 こんなの、ただの八つ当たりだ。
 ミサトさん、ごめん。

 僕たちの間に、再び沈黙が訪れた。ミサトさんも僕も、気持ちは同じだったから。何も言わなくても、お互いの気持ちが痛いほど想像できるから。

 僕はフラフラと立ち上がり無言で会議室を後にした。ミサトさんはチラッと顔を上げたけど、もう何も言わなかった。

 足が重い。家に帰ってアスカの顔を見て、僕は何を話したらいいんだろう。一歩ずつ確実に家に近づいていくのに、心は会議室に忘れてきてしまったみたいに空っぽだ。
 何から考えていいのかわからない。心は空っぽだけど、頭は今にもパンクしそうだった。

 これはきっと僕が事実を受け入れるために必要な時間なんだろう。でもそれはあまりにも複雑で難解で、受け入れて理解するためには時間が短過ぎる。僕にもミサトさんにも、もっともっと時間が必要なんだよ。

 だからさ、そんなに急いでドイツへ帰るなんて言わないでよ。僕もミサトさんも、アスカがいなくなるなんて考えたこともないんだから。

 なんでそんなに急いで帰らなくちゃならないんだよ? 僕もミサトさんも、5日じゃ無理だよ。アスカがいなくなることを受け入れるなんて無理だよ。

 せっかく平和な世の中になったのに。もうエヴァに乗らなくていい世界になったのに。委員長やトウジやケンスケと、これからいっぱいいろんなことできるんだよ。みんなで一緒に普通の学生生活を送れるんだよ。

 なのに何でなの? 何でドイツなの? 何で日本じゃダメなの? どうしてみんなと一緒にいられないの?

 アスカ? ねぇ、アスカ?




 アスカはやっぱり、僕のことが嫌いなの……?



<続く>
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by himahimari | 2012-12-31 15:50 | 私の作品(サイト未格納)